2022-03-01
















早朝のキッチンの温度計が2.6℃、

のぼってきた太陽がもみの木の隙間に現れて、

心は暖まった。



2月の中旬ごろ、一度お菓子の波が来たのだが、

雪かきの日々を送っていたら遠のいてしまった。


最初に降り積もった30センチの白いかたまりを

先を見越してどこにもっていくかが、何しろ大事。


屋根の雪が雪庇となってやがて落ちる日の

温度と湿度を見積もって、

角度的に車や人が安全な場所を確保して、

除雪車が通った大きな轍を固まる前に撤去して、

と自分と監督(雪かきの自分)が一体となって

雪と格闘して一日が終わる。


そして朝起きるとあっさりリセットされていて、

屋根の雪が雪庇となってやがて落ちる日の

(以下同)。


気づけば霜やけで手がパンパンで、

終末の父のように手袋をして寝ている。


でも今日は、戸棚のアロマクリームが

バタークリームのように滑らかで、

春を感じた気がする。


感じた気がするのだが、

世界の情勢が飛び込んでくるたびに

心の春はまた閉ざされてしまう。



西ドイツに住んでいた子供時代、

とあるフェスティバルのために

車で西ベルリンに向かっていた。


東ドイツを一旦通らなければならないから、

国境の手前で後部座席にいる私たちに

「熟睡しているフリをしなさい」と

父は静かに強く言った。


日本人は微笑みで挨拶するものだが、

何も知らずに笑顔で東側に行こうとすると

「今、笑ったな。こっちへ」と連行されるのだ。

子供であることなど全く関係がなかった。


あの記憶が、よみがえってしまう。



避難所で猫を抱いている人を見た。

猫はただ恐怖の中にいる。

熟睡しているフリも出来ずに。

寄り添う人間はなすすべもなく。



クリスチャンではないが、

ただただ祈っている。


どうか、

一秒でも早く、

無益な戦いが終わりますように。