早朝のキッチンの温度計が2.6℃、
のぼってきた太陽がもみの木の隙間に現れて、
心は暖まった。
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2月の中旬ごろ、一度お菓子の波が来たのだが、
雪かきの日々を送っていたら遠のいてしまった。
最初に降り積もった30センチの白いかたまりを
先を見越してどこにもっていくかが、何しろ大事。
屋根の雪が雪庇となってやがて落ちる日の
温度と湿度を見積もって、
角度的に車や人が安全な場所を確保して、
除雪車が通った大きな轍を固まる前に撤去して、
と自分と監督(雪かきの自分)が一体となって
雪と格闘して一日が終わる。
そして朝起きるとあっさりリセットされていて、
屋根の雪が雪庇となってやがて落ちる日の
(以下同)。
気づけば霜やけで手がパンパンで、
終末の父のように手袋をして寝ている。
でも今日は、戸棚のアロマクリームが
バタークリームのように滑らかで、
春を感じた気がする。
感じた気がするのだが、
世界の情勢が飛び込んでくるたびに
心の春はまた閉ざされてしまう。
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西ドイツに住んでいた子供時代、
とあるフェスティバルのために
車で西ベルリンに向かっていた。
東ドイツを一旦通らなければならないから、
国境の手前で後部座席にいる私たちに
「熟睡しているフリをしなさい」と
父は静かに強く言った。
日本人は微笑みで挨拶するものだが、
何も知らずに笑顔で東側に行こうとすると
「今、笑ったな。こっちへ」と連行されるのだ。
子供であることなど全く関係がなかった。
あの記憶が、よみがえってしまう。
避難所で猫を抱いている人を見た。
猫はただ恐怖の中にいる。
熟睡しているフリも出来ずに。
寄り添う人間はなすすべもなく。
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クリスチャンではないが、
ただただ祈っている。
どうか、
一秒でも早く、
無益な戦いが終わりますように。