「いいこだったね」
じっと目を見て、ミトンの手を伸ばした父。最期の言葉。
けれど、
私は良い子なんかじゃなかった。
なかなか会いに行かなかったし、
”親孝行”という行為は何も出来なかった。
誕生日やバレンタインにお菓子を作って送って、それでおしまい。
風が吹くと桶屋が儲かるってほら言うじゃない?ーーーそう自分に言い聞かせて
誰にでも出来る限り親切を心がけて、誰かが喜んでくれるようなお菓子を頑張って作って、
そしたら、
巡り巡って父も誰かに親切にされて、喜びが届く、
そうであることを祈りながら、何も出来なかった。
老いてゆく姿を見るのが怖かった。
*
新聞記者だった父は、幼い頃いつも家にいなかった。
たまにいると(それはたいてい母が入院しているとき)、
ラーメン屋や蕎麦屋で「子供用のお椀」もオーダーして、
食の細い私に自分の器からひと掬い入れて
「これだけでいいから食べなさい」と
たまごや海苔やなると巻きーー重要なトッピングーーも惜しげも無く入れてくれた。
ある時、目の前の蕎麦を食べたら、飛び上がるほどびっくりした。
「このおそば、すっっごくおいしいねっ!!」私の瞳は輝いていただろう。
「そうか美味しいか!この、蕎麦……」父はニコニコが止まらない。
なぜなら思い返してみると、蕎麦はモンブランだったから。
*
父と丸ノ内線に乗っていた。お見舞いの帰りだった。
「御茶ノ水〜」「御茶ノ水〜」とアナウンスが聞こえた。
「ねえ、どうしてお茶なのに水なの?お湯じゃないの??お茶のお湯じゃないの???」
何でも知っている父を見上げたら、
「ブフっ」
目の前の男子学生が大爆笑した。
涙目になってきた私に、
「そうだね、本当だね、お茶はお湯だよね、何で水なんだろうねぇ、変だよねぇ」
そう言って首を傾げて一緒に考えてくれた。
小さい頃から色んな問題を抱えていた私を、
いつもブレずにニコニコと見守ってくれた。
それは、常に緊張と不安の塊だった私にとって、
とてもあたたかな、
光だった。
昨年の10月16日、父は永眠した。
10月15日は私の誕生日だから、来てくれそうな気がして
だから、15日を営業日に絶対しようと思っていた。
まだ停電していたとしても
きっと
あたたかな光を
私には見える光を
薄暗い店に
そそいでくれるんだ。
誰も来てくれなくても頑張れそう。
*
これは特設されたwi-fiスポットで書いています。
家に戻ってみたら、もしかしたら停電が解消している、、、かしら。。。
もうそろそろ停電鬱が襲ってきそうです(弱気)。
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あの時の蕎麦のイメージで前回作った
スペシャルモンブラン。
(もしも、原稿を書いているテレックスやワープロやパソコンに音があったとしたら、こんな感じだった気がするのよどうしても、
って完全にファザコンだなー)