2016-01-24

1月。



十数年前、念願のお菓子屋の厨房で働き始めた頃は、
10キロちかくのカスタードクリームを炊くのが、駆け出しの仕事だった。
左手に数キロはある銅鍋をつかみグルグルまわしながら右手のホイッパーでクリーム液を混ぜ続ける。
ガス台は強火。焦がしたら最後。だが左手も右手も限界。
限界なのだが、クリームの火の入りが丁度よくなる瞬間まで、動きは止められない。
その瞬間が来たら、ウッとお腹に力を入れて、10キロ以上の鍋とクリームを左手で持ち上げ、右手のゴムベラで大きなバットやバンジュウにクリームを手際よく移さなくてはならない。

焦がさずにちょうど良く炊き上げたカスタードクリームのバンジュウを冷蔵庫に入れに行きながら、
もしも、もしもここで事切れたりしても、しあわせだなぁと思った。
やりたいことがあって、キツいけれどもやれていて、それが志なかばだとしても、
想像しただけで多幸感に包まれた。


雉トラ猫のプルちゃんは、幼少期から多少の健康不安があった。
信頼のおける獣医師の先生の指導のもと、ずっと療養食で育った。そして元気だった。
不調になって病院通いをしていたけれど、治ると信じていた。
けれども、ついに何も食べなくなり、飲めなくなり、
手術や薬で多少の延命をしたとしても、いきつくところは死しかなかった。

さいごの2週間、プルちゃんは家で過ごした。朝はいつもの水道で水を飲もうとし、大好きな缶詰の匂いだけをかいだ。
体から出てくるものは、ほとんどが血液だった。
紙のように薄くなった体で、いちばん楽な姿勢を自分で探して体位変換をしていた。

それが1分おきくらいに頻繁になって、もう楽な姿勢が見つからなくて横たわって、喘鳴し始めた。
少しでも呼吸がしやすいように、頭を支えて、骨と皮だけの体をかるくさすった。
そして、すべての動きが止まってしまった。

胃腸が悪かったから、強制給餌はしたくなかった。点滴も、命と一緒に苦しみを延ばすのなら、したくなかった。だから、見守るしかできなかった。見殺しにするしかできなかった。

でも、プルちゃんは2年という短い期間だったけれども、どんなことでも受け容れて今を生きていた。さいごまで。
もしかして志なかばだったとしても、もしかしたら幸せだったんじゃないか。

そんなことを考えては涙していた1月。
プルちゃんのさいごをみて、カスタードクリーム時代の自分を思い出した。
プルちゃんを見習って、まっすぐ生きていこうと思う。
いろんなことで頓挫したり力つきたりするけれども。