2019-10-14

15日に営業する理由。




「いいこだったね」
じっと目を見て、ミトンの手を伸ばした父。最期の言葉。



けれど、
私は良い子なんかじゃなかった。
なかなか会いに行かなかったし、
”親孝行”という行為は何も出来なかった。

誕生日やバレンタインにお菓子を作って送って、それでおしまい。

風が吹くと桶屋が儲かるってほら言うじゃない?ーーーそう自分に言い聞かせて
誰にでも出来る限り親切を心がけて、誰かが喜んでくれるようなお菓子を頑張って作って、
そしたら、
巡り巡って父も誰かに親切にされて、喜びが届く、
そうであることを祈りながら、何も出来なかった。
老いてゆく姿を見るのが怖かった。




新聞記者だった父は、幼い頃いつも家にいなかった。

たまにいると(それはたいてい母が入院しているとき)、
ラーメン屋や蕎麦屋で「子供用のお椀」もオーダーして、
食の細い私に自分の器からひと掬い入れて
「これだけでいいから食べなさい」と
たまごや海苔やなると巻きーー重要なトッピングーーも惜しげも無く入れてくれた。



ある時、目の前の蕎麦を食べたら、飛び上がるほどびっくりした。

「このおそば、すっっごくおいしいねっ!!」私の瞳は輝いていただろう。
「そうか美味しいか!この、蕎麦……」父はニコニコが止まらない。

なぜなら思い返してみると、蕎麦はモンブランだったから。






父と丸ノ内線に乗っていた。お見舞いの帰りだった。

「御茶ノ水〜」「御茶ノ水〜」とアナウンスが聞こえた。

「ねえ、どうしてお茶なのに水なの?お湯じゃないの??お茶のお湯じゃないの???」

何でも知っている父を見上げたら、
「ブフっ」
目の前の男子学生が大爆笑した。

涙目になってきた私に、

「そうだね、本当だね、お茶はお湯だよね、何で水なんだろうねぇ、変だよねぇ」

そう言って首を傾げて一緒に考えてくれた。



小さい頃から色んな問題を抱えていた私を、
いつもブレずにニコニコと見守ってくれた。

それは、常に緊張と不安の塊だった私にとって、
とてもあたたかな、
光だった。



昨年の10月16日、父は永眠した。

10月15日は私の誕生日だから、来てくれそうな気がして

だから、15日を営業日に絶対しようと思っていた。


まだ停電していたとしても

きっと

あたたかな光を
私には見える光を

薄暗い店に
そそいでくれるんだ。



誰も来てくれなくても頑張れそう。







これは特設されたwi-fiスポットで書いています。
家に戻ってみたら、もしかしたら停電が解消している、、、かしら。。。
もうそろそろ停電鬱が襲ってきそうです(弱気)。




あの時の蕎麦のイメージで前回作った
スペシャルモンブラン。




(もしも、原稿を書いているテレックスやワープロやパソコンに音があったとしたら、こんな感じだった気がするのよどうしても、
って完全にファザコンだなー)